Monthly Archives: 2月 2019

見られたくない過去の遺産

見られたくない過去の遺産

押入れの奥から、ビニール袋に入った埃まみれのものが出てきました。何かと思い見てみれば、小学校時代の文集です。ページはすっかり茶色くなっていて、ちょっと厚めの紙を使った表紙は、一度はがれてしまったのか、ガムテープで貼ってありました。でもなぜか、思いっきり曲がっているのですよ。「雑だなあ。もうちょっと綺麗に揃えてくださいよ」と過去の自分に言いたくなってしまいました。
内容は当時担任の先生が作っていた、お知らせを書いたプリントや、クラス皆の自己紹介シート、原稿用紙に書かれたままの、花丸がついた作文もありましたね。拙い鉛筆の文字が、自分の成長を教えてくれます。それはとても微笑ましく、懐かしくもあったけれど、何が書いてあるかは読む勇気はなかったので、そのまままた押入れに突っ込んでおきました。
同級生の友達のひとりは「過去は捨てた」なんて言っている人もいましたが、皆はこうした文集を、大事に保管しているのかしら。捨てる覚悟はありません。でも、遠い未来、自分が天に召された後に、誰かに見られるのも恥ずかしいなあと思っています。まさに遠すぎる将来のことなので、今から考えても仕方ないのはわかっているのですけれどね。

作品の魅力は作中にある

作品の魅力は作中にある

ふと、思いだしたことがあります。いつだったか有名な男性漫画家さんが「作品のイメージを壊さないために、姿は見せない」と言っていたことです。たしかに、読者が勝手に想像していることというのはありますよね。
たとえば、とてもかっこいいバトル漫画を描かれている人。ペンネームも中性的だけど実際は女性だったということを知った時は、かなり驚きました。逆にどきどきするような恋愛漫画を男性が書いていた時も、同じようにびっくりはしましたね。でも作品についての好き嫌いが変わるということはなかったです。だって結局かかれているのはご本人だし、その方がどんな方でも、作風が変わるわけじゃないのですもの。
しかしここまで書いて気付きましたが、そもそも女性だから、男性だからで話のイメージを決めてしまうのは、性差別かもしれません。あくまで「ひとりのクリエイターが、素敵な話を書いている」というのが、正しい言い方なのでしょう。自分で言っておきながら、そう納得しました。顔出しするもしないも、作品の良しあしにはまったく関係ないですものね。出したい人は出せばいいし、ちょっとそれは……という方は隠れたままで、とにかく元気にしてくれていればいいのです。